こんにちは、赤ヰです。
前回、「80億分の1」でパキスタンの女の子として93年を生きてみました。
……そして、気づいたらもう一度「生まれる」ボタンを押していました。
2回目も、やってしまいました。
2回目に生まれたのは、南米のエクアドル。
今回は、男の子の人生です。
・エクアドルのごく普通の家庭に生まれ、医師になり、アメリカへ渡った
・最後は町の医院の院長で、地方議員も務めた
・96歳まで生き、同じ年にエクアドルで生まれた男の子のうち、より長く生きた人は約0%
・パキスタンのNidaとはまったく違う人生。でも、似ているところもあった
01 ― MAP
🗺Joséの人生を、ひと目で
02 ― BIRTH
👶エクアドルで生まれた、好奇心旺盛な男の子
2026年9月。
エクアドルの港町グアヤキルで、中所得の家庭に、第一子の男の子として生まれました。
名前は、José Castillo(ホセ・カスティージョ)。
予定日より早く、小さく生まれた赤ちゃんでした。
でも、お母さんの胸にしっかり抱かれて、最初の山を越えました。
5歳のころには、大人たちから「好奇心旺盛な子」と呼ばれるように。
体を動かすことなら、何でも同じ年の子よりずっと上手でした。
そして7歳のとき、最初の大きな決断で選んだのが、チェス。
Joséはすっかり夢中になって、22歳では地域のチェス大会で優勝します。
小さいころに選んだ「好き」が、一生ついてくるのがいい。
03 ― DOCTOR
🩺医学を学び、医師に
Joséは医学を選びました。
でも、学生時代はお金に苦労します。
借りる先がなく、食事も出費も切り詰めてしのいだ年もありました。
それでも大学を卒業し、大学院で修士の学位を取って、24歳で医師として働き始めます。
Joséの人生には、このあとも犬たちがずっと寄り添ってくれます。
04 ― USA
✈アメリカへの挑戦
25歳でNataliaと結婚し、3人の子どもに恵まれました。
そしてJoséは、アメリカで働く道を探し始めます。
……でも、簡単ではありませんでした。
あきらめずに、何度も挑戦した。
故郷のエクアドルからは、ときどき小包が届きました。
開けると、故郷のにおいがする。
通りからエクアドルの歌が聞こえてきて、しばらく立ち尽くした日もありました。
遠くに行っても、故郷はずっと心の中にあるんだね。
05 ― FAMILY
💔別れと、また始まる関係
Joséの家族の物語は、まっすぐではありませんでした。
44歳で、Nataliaと離婚。
子どもたちは、自分で育てることにしました。
でも49歳のとき、Nataliaと再び付き合い始め、52歳で再婚します。
そして60歳のとき、Nataliaは病気で亡くなりました。
最期まで、そばで看病しました。
65歳でKarlaと再婚。
でも、そのKarlaも73歳のときに先に旅立ちます。
結婚は3回。
出会いと別れを、何度も経験した人生でした。
息子との、長い時間
75歳のとき、息子のJavierがつらい出来事を起こしてしまいます。
Joséはそのことを、すぐには受け入れられませんでした。
それでも、79歳のある日。
Javierは、Joséの最後の数年を、同じ家で一緒に暮らしてくれました。
この1行が、Joséの人生でいちばん好きかもしれない。
06 ― CAREER
🏛医院の院長、そして地方議員
仕事では、51歳で診療科長に。
一番稼いだ年は、世界の収入で上位1%に入るほどになりました。
でもJoséは、それだけでは止まりません。
国会議員選挙への挑戦は、公認を得られなかったり、落選したり。
それでも68歳で、町の医院を開業して院長になり、同じ年に地方議会の議員に当選しました。
人生を共有するときの「ひとことの感想」に、私はこう書きました。
「地方議員として働いた人生だった。」
07 ― GIVE
🎓故郷に、奨学金を
55歳のとき、Joséは故郷のエクアドルに奨学金をつくりました。
毎年、家計の苦しい生徒の学費を出すことにしたんです。
暮らしが苦しい年には送れないこともありましたが、余裕ができるとまた送り始めました。
最初の奨学生の一人から、丁寧な字でお礼の手紙が届きました。
奨学生だったGabrielaが看護師になったという知らせも届きました。
そして、遺言書には「財産の5分の1を、故郷の奨学金に遺す」と書きました。
生徒27人が、学校を卒業できるよう支えました。
生まれた国も、性別も、仕事も違うのに。
……なんだか、うれしかった。
08 ― LAST
🌙96歳、最期まで挑戦し続けた
年を重ねても、Joséは新しいことを始め続けました。
89歳でジム・フィットネスに夢中になり、
92歳には「体が見違えるほど引き締まりました」。
94歳で、今度は絵画を始めます。
大人になった子どもたちとは、2年ごとに海外旅行へ。
オーストリア、ポーランド、カナダ、ドイツ……訪れた国は11か国になりました。
94歳で脳卒中で倒れ、片側の手足が思うように動かなくなっても、リハビリを続けました。
そして96歳。
孫の結婚式を見届けた年に、脳卒中で生涯を閉じました。
最期を見送ったのは、子ども5人、孫6人とひ孫5人でした。
09 ― FIVE
📊同じ1秒に生まれた5人
同じ1秒に生まれた5人は、それぞれ76歳、82歳、84歳、95歳、96歳まで生きました。
今回は、Joséがいちばん長生きでした。
ゲームの表示では、同じ年にエクアドルで生まれた男の子のうち、Joséより長く生きたのは約0%。
エクアドルの男性の平均寿命より、21.9年も長く生きたそうです。
10 ― COMPARE
⚖NidaとJosé、2つの人生を比べてみた
| 1回目:Nida | 2回目:José | |
|---|---|---|
| 生まれた国 | パキスタン・ラホール | エクアドル・グアヤキル |
| 暮らした国 | パキスタン→UAE→パキスタン | エクアドル→アメリカ |
| 仕事 | 事務職→部長 | 医師→院長、地方議員 |
| 子どものころの「好き」 | 演劇・演技 | チェス |
| 家族 | 子ども3人、孫3人、ひ孫4人 | 子ども5人、孫6人、ひ孫5人 |
| 故郷の奨学金 | 生徒25人 | 生徒27人 |
| 生きた年数 | 93歳 | 96歳 |
| 自分より長く生きた人 | 4% | 約0% |
生まれた国も、性別も、仕事も、まったく違う2つの人生。
でも、比べてみると共通点もありました。
どちらも生まれた国を離れて暮らし、どちらも大切な人を何度も見送り、
そして、どちらも最後は故郷の子どもたちのために、奨学金をつくった。
もしかしたら、それは赤ヰ自身の「選び方のクセ」なのかもしれません。
どこに生まれても、気づいたら同じような選択をしている。
それに気づけたのが、2回遊んでみていちばん面白かったところです。
11 ― SUMMARY
✨まとめ
✔ ビザの却下、永住権の不合格……それでも何度も挑戦した
✔ 結婚3回、別れと仲直りをくり返した家族の物語
✔ 院長、地方議員、そして故郷の奨学金で27人を支えた
✔ 2つの人生を比べると、自分の「選び方のクセ」が見えてくる
1回目で「生まれる場所は選べない」ことの重さを感じて、
2回目で「それでも、選択で人生は変わっていく」ことを感じました。
……3回目は、どこに生まれるんだろう。
あなたも、80億人のうちの誰かとして、生まれてみませんか?
(もう押してる)」
・80億分の1(1in8b.life)(ゲーム内の説明と表示)


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